No.028  心意気  2003.08.04

先日 福島県の会津を中心に、近年急伸中のダイエーさんを訪問。
今仙台の1000台店が現場中で、続いて改装店舗と新店舗の打合せ。


「田村君、町北店 飯島直樹先生が設計したけど、ローコストで、中々評判も良い
し、これからダイエーの新シリーズを、このタイプで展開したい。一度見に行って、
参考にしてくれないか・・・」


ダイエーさんとの付合いは、長い。

当社 バブル崩壊後、生き残りを掛けて、いろんな業種にチャレンジを繰り返し、
特化すべき業種を模索していた。

その一環の中、バブル中に、当社がヒナガタを開発しセガが日本中に展開した、
郊外型ゲームセンターをパチンコ業界にPRしようと、業界誌に見開きで6回ほど
連載した。


これが残金全てであった・・・資金が底をつき、会社の閉鎖が秒読み状況の中の、
最後の夢を託したPRであった。

しかし、無常にも5回とも 何の反応も無かった。
・・・・・・・・・・・・
会社の閉鎖を覚悟しかかった、最後の6回目のPRで電話が鳴った。
「ダイエーです。デザインが気に入ったので打合せに一度来て下さい!」
・・・今こうして振り返っても目頭が熱くなる思い出です。

真剣に神に感謝をした。

お邪魔すると、ゲームセンターではなくパチンコ店の依頼であった。

金井社長は、自宅の和室で、初対面の私に、いきなり3時間位、機関銃のように、
熱く、いろんな話をされた。そのパワーにクタクタになって来た頃、

「田村君 君はイイ顔している!キット成功するヨ!!」と語った・・・

男に「イイ顔している!」と言われたのは初めてだし、「私ハ倒産シカカッテイルノニ
何ヲイッテル・・・?」と思ったが、真剣な語り口に、言葉にならない不思議な励まし
を感じ、仕事も頂き、意気揚揚と帰った事を思い出す。


当時ダイエーさんも、小さい店が6−7店舗の時代でしたから、年商としても、100
億前後の規模だったかと思うが、以来11年 来期は2000億!に手が届くと言う。


当社もダイエーさんとの出会いを契機に、業種をパチンコに特化し、何とか会社
閉鎖は免れ、11年間こうして生き延びられた!


こうした長い付合いの歴史の中に、成長した息子さんの人脈で、ダイエーへの出
入り設計士の中に、新進気鋭の「飯島直樹先生」が、加わった。

飯島先生は、渋谷のマルハンタワーの設計で、業界にサッソウと登場した、気鋭
のデザイナーです。時々お会いするが、トテモ気さくなイイ人です。


「社長、飯島さんが新しい価値観で、ダイエーさんの評価を受けたのなら、次の物
件は、飯島さんに発注すべきです。我々もプロですから、マネをして作るぐらいは
簡単ですが、プライド上も信義上も著作権上も、それは出来ません。」


「その次の物件で、もしチャンス頂ければ、飯島さんを目標に更にいい物を、提供
したいと思います。」

・・・・・・・・・・・
金井社長は、息子さんと別室に入りほんの1−2分協議

「ジャー 田村君の案でヤッテクレ!!」

それ以上多くは語らず、世間話で会談終了・・・改装1物件。新築640台・880台
の計3物件の受注を頂き、再びレンタカーで新潟空港経由で帰路へ。


金井社長はよく「言葉の手形」と言う。
付合いを振り返り、ツクヅク 「手形に期日が来る」事を実感する

・・・・生きて建築業界に、設計業界に、パチンコ業界にいる以上、
   「年月が、その人の生き様を証明する」との思いが深まる。
・・・・人生、「一生かかって自分の手形を落とす」のだなーと思う

金井社長有難うございました。「意気に感じ」一生懸命やります!!
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