株式会社 田村設計

Kazの設計ざんまい

田村 和雄

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愛知県常滑市・東京都銀座在住

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  • 02/07(土)ホーチミン市市内観光 △×26-9-11

    今日は最終日の自由行動・・・私はオプションの市内観光に行く事に
    朝食後、前の公園を散歩
    本当に清清しく気持ちが良い気候だ
    9時出発で、最初に“旧大統領官邸“(統一会堂)を訪問
    1975年に人民解放軍が戦車で突入して、南ベトナム政権が崩壊した当時の官邸を記念館として開放している
    1966年の竣工・・・40年強前・・・丹下さん時代を感じる質素だが実に良い建物だ
    開放された廊下は、風が通り抜け、とても気持ちが良い・・・日本の縁側を思い浮かべ、何か親しみを感じる
    次に“戦争証拠博物館”を訪問
    ベトナム戦争当時の、兵器・弾薬・枯葉爆弾の悲惨さ等を並べている
    世界中でカメラマン35人がベトナム戦争で犠牲になったそうだが・・・
    彼らの写真も常設展示されており・・・悲惨さに思わず涙が・・・映画のような現実のシーンにショックを感じる
    ・・・“澤田教一”さんの写真も展示されており・・・ベトナム人の母親が子供を連れて川を渡る“安全への逃避”の写真は今見ても涙を誘う
    ベトナム人ガイドに“米への感情”を尋ねると
    “子供を亡くしたおばあさんたちは、憎んでいますが・・・あれは政治家の犯罪であって・・・若い人には反米感情はありません”と語っていた
    ・・・時間が、戦争を(憎しみも)風化させる・・・
    次に“ベンタイン市場”を訪問
    観光客相手のみやげ物市場で、ほとんどはガラクタ・・・そのガラクタを、ツイ買ってしまった・・・後悔!
    次に、ガイドさん御用達の高級土産物店
    ・・・同じ風なものが、先ほどの市場の3倍はする・・・価格がさっぱり解らない
    次に昼食会場
    タイ米の料理だったが、ほとんど日本食と同じ感覚で、美味しくてつい食べ過ぎてしまった
    ・・・日本のTV番組で、屋台でラーメンを食べるシーンをよく見るが・・・不衛生で絶対止めたがイイと言われ・・・残念!
    ラーメンは朝食でも食べたが・・・うどんに近い印象
    次に、ホーチミン市随一のショッピング・ストリート“ドン・コイ通り”で自由行動
    初日に両替した180万ドン(1万円)が、ほとんどそのまま
    通りに大理石を加工の専門店を発見・・・トンボ柄を彫りこんだ石の箱を気に入って、記念に購入する事に
    42ドルを粘って57万ドン(3000円強)まで交渉・・・精一杯の交渉だったが
    ・・・ガイドさんは”高い“と一言・・・売り手の方が数段上のようだった
    市内観光は地図で見ると、ホテルの周辺半径2キロくらいの距離の中をぐるぐる廻っている・・・ホーチミン市の中心地は非常に小さい
    ホテルに帰って2時半
    シャワーを浴びて、5時半チェックアウトで、帰路へ
    途中、メコン川のほとりの、高級住宅街の一角の風情あるレストランで、“さよならパーティー”
    雰囲気ある生演奏
    美人プロシンガーの素晴らしい歌声
    月は満月に輝き、
    メコン川を船が行き来し
    メコン川を渡る涼風
    ・・・映画のシーンのような素晴らしい宴だった
    若い歌手が英語を全く自然に語る
    ・・・聴衆の日本人はほとんど理解出来ないので・・・困っている風だった
    若いキャディーさんも・“輪タク”のオッサンも・ホテルの若いサービス係も・・・ほとんど全員が英語を母国語の如く自然に語る・・・日本人も何とかしなくちゃー・・・
    ホーチミン市への観光客は日・仏・米人が多いそうだが・・・日本人は超高級ホテルで2泊3日、
    同じコストで、仏米人は、(一般の住宅を借り)1ヶ月滞在するそうだが
    ・・・1ヶ月も滞在する理由が解った・・・この爽やかな気候だ
    空港ロビーで、初日に両替した1万円の残金が、ドル換算で11ドル・・・土産にコーヒーの粉を買ったらピッタリなくなった
    空港を夜12時のフライトで、関空着午前7時の予定・・・機内で寝ないと翌日が辛いと思う
























































































    2009年2月7日 (土) 3:01

田村プロフィール

■経歴 ・昭和47年
名古屋大学建築学科卒業後、恩師の平子勝設計に勤務
・昭和52年
恩師死去による勤務先閉鎖により、個人事務所として独立する。
・平成2年
法人化。バブルの崩壊をいち早く察知し試行錯誤の末、 業種をアミューズメント業界、
中でもパチンコ業に特化し、今日に至る
・平成6年
東京支所開設
・平成7年
ミラノにイタリア人3名雇い、デザインルーム開設
■趣味 出張先でおいしいものを探すこと
■好きな街 ・ミラノ
60才からはここに一年の半分は住みたい
・ニューヨーク
ここへも住みたい。元気になりそう
・名古屋
早足で歩いても人にぶつからない、ストレスの溜まらないイイ街だ
・常滑
恵まれた自然が生んだのか古くから多くの偉人が輩出している。
トヨタの大番頭の石田退三、ソニーの盛田、哲学者の谷川徹三、
東京電力の平岩外四、中野良子、ザ・ピーナツ、(タムラカズオ?)
そして 日本4大古窯の常滑焼き。
魚もおいしいイイ街です。ただ国際空港が出来るのが少し残念。
■特技 純粋に相手の立場に立てる。しかし熱すぎて少し嫌がられること多し
■苦手な事 IT、営業、カラオケ、パチンコ
■一言 すごい時代になったとつくづく思う。 自分の思い・メッセージを世界中、日本中に発信できるなんて夢のようです。 少しでも多くの方と出会い、ITの可能性を存分に試したいと思います。

設計観

建築設計の本質とは、建物と言うハードを通じて家庭の幸せや、 企業の繁栄といったソフトを創造する職業と思っている。そして一作ずつ愛情と情熱を込めて創る。 その思い入れが建物と言うハードに血を通わせることが出来ると信じている。 また日々力量を磨き、自分たちの作品が社会的価値や文化的価値へと 昇華していくことが出来たらとても幸せだと思う。

田村レポート