株式会社 田村設計

Kazの設計ざんまい

田村 和雄

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愛知県常滑市・東京都銀座在住

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  • 05/10(土)対談取材 ×84-21-30

    午前中、雑誌社から依頼されていた対談取材のレジメ作成
    午後、役員会議
    武沢先生の指導が無い中での、始めて全員参加の会議
    先生が居ない緊張感の低下を懸念して、今日から執行役員の和田さんも参加し
    (私がリードし過ぎる事を懸念して)議長を棚橋君、副議長を土屋君、書記に和田さんを任命して、新体制でのスタート
    “資金繰り会議”とも一本化して、より経営的な会議にモデルチェンジ
    会議はともすると、問題事項の“報告”で終ってしまいがち・・・発生した諸問題を直ちに“解決”して行く事が役員会議ではモットも重要と思う
    議論・決定したその解決策を議事録担当の和田さんが、その日に“役員メーリングリスト”に流し、役員承認後、“執行役員メーリングリスト”に流し、執行役員の承認を受ける
    ・・・執行役員会議も同様に、その反対の手続きを取る
    国会のように“2院制”の良いシステムになったと思う
    今日は、発生したトラブルに対して“SOSメール”制度の決定・・・SOSメールを見た関係者・役員は直ちに返事を送信し、会議を開き、解決策を決定する
    “早期発見・早期対策”しかない!
    夕方、4時より“日本実業出版社”の“経営者会報”なる経営者向け雑誌の取材
    “武沢先生の対談シリーズ”の一貫なので断る訳にも行かず・・・本当は非常に苦手な事だが、今日の取材になった
    雑誌社の(売らんが為の)着色・美辞麗句が、事の本質から離れてしまう事と、自分が“成功者”思ってしまう事を危惧をする
    ・・・最初で最後にしよう
    私の提案で、雑誌社の方に当社を正しく理解して貰ってからの対談にしようと、予め用意したたレジメと会社資料の読みあわせをしてからの対談
    ・・・しかしぶっつけ本番の対談の醍醐味が減ってしまったかなと・・・少し反省
    夜、山葵さんで
    取材担当者と武沢先生を囲んで、役員も全員参加で夕食会・・・昔話にも花が咲き、今日も楽しい時間だった

    2008年5月10日 (土) 5:49

田村プロフィール

■経歴 ・昭和47年
名古屋大学建築学科卒業後、恩師の平子勝設計に勤務
・昭和52年
恩師死去による勤務先閉鎖により、個人事務所として独立する。
・平成2年
法人化。バブルの崩壊をいち早く察知し試行錯誤の末、 業種をアミューズメント業界、
中でもパチンコ業に特化し、今日に至る
・平成6年
東京支所開設
・平成7年
ミラノにイタリア人3名雇い、デザインルーム開設
■趣味 出張先でおいしいものを探すこと
■好きな街 ・ミラノ
60才からはここに一年の半分は住みたい
・ニューヨーク
ここへも住みたい。元気になりそう
・名古屋
早足で歩いても人にぶつからない、ストレスの溜まらないイイ街だ
・常滑
恵まれた自然が生んだのか古くから多くの偉人が輩出している。
トヨタの大番頭の石田退三、ソニーの盛田、哲学者の谷川徹三、
東京電力の平岩外四、中野良子、ザ・ピーナツ、(タムラカズオ?)
そして 日本4大古窯の常滑焼き。
魚もおいしいイイ街です。ただ国際空港が出来るのが少し残念。
■特技 純粋に相手の立場に立てる。しかし熱すぎて少し嫌がられること多し
■苦手な事 IT、営業、カラオケ、パチンコ
■一言 すごい時代になったとつくづく思う。 自分の思い・メッセージを世界中、日本中に発信できるなんて夢のようです。 少しでも多くの方と出会い、ITの可能性を存分に試したいと思います。

設計観

建築設計の本質とは、建物と言うハードを通じて家庭の幸せや、 企業の繁栄といったソフトを創造する職業と思っている。そして一作ずつ愛情と情熱を込めて創る。 その思い入れが建物と言うハードに血を通わせることが出来ると信じている。 また日々力量を磨き、自分たちの作品が社会的価値や文化的価値へと 昇華していくことが出来たらとても幸せだと思う。

田村レポート