株式会社 田村設計

Kazの設計ざんまい

田村 和雄

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愛知県常滑市・東京都銀座在住

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  • 07/15(水)広島へ ×138-37-33 歩114

    4時起き!
    ・・・と言うより、寝苦しく、不幸にもクーラーが不調で、暑くて目が覚めたと言うのが正しい
    する事が無いのでTVのチャンネルを廻し続ける
    自民党の内紛の報道ばかり
    ・・・(敗北を前提の)身の保身・逃亡と、最後のアガキか?
    しかし、会合と言って(酔って)赤い顔して出てくる先生方の多い事・・・これが国を憂う政治家の姿である事が哀しい・・・(麻生おろしも)酒の肴か??
    ・・・自分達が選んだ一国の首相だぞ!!
    5時に家を出て、6時半の新幹線で、広島へ8時半着
    広島駅前で“ナショナルカイカンANEX”が竣工したので、
    9時からの“施主検査”
    午後1時から“神事”
    午後2時から“竣工パーティー”
    に立ち会う
    広島駅南口正面の、古く廃墟のようなビルが生き返った
    駅南口を出ると、正面の大きな看板の大きな“花”の写真が目を引く
    国際都市広島を訪れる海外からのお客さめへの“感謝の花”の意を込めたそうだ
    店舗前の歩道も、自己負担で“石貼り”に変更し
    アーケードも自己負担で設置
    ・・・クライアントの誠意・センスを感じる・・・広島市は表彰すべきだと思う(ほど)
    竣工パーティーでの施主さんのスピーチには、泣けそうになるほど感動した
    50年前に父上がこの地で事業をスタートし、
    息子(現社長)は企業を拡大・成長・成功し、縁があってそのスタートの地に再び(50年後)帰って来て、きしくも父上と同じ施工会社に発注し、今日その横に店舗を持った・・・故郷に錦を飾った!
    戦後の激動の50年間を生き抜いた父親と・・・その意思を継いだ息子
    ガンバリ続けたある親子の姿・人生・・・
    その背後に日本・戦後・時代を垣間見た気がして・・・(私も)同時代を生きてきた人間として、また同じような年齢の(亡)父を持つ子として
    ・・・感無量!
    “孝行息子”を持った父上も、天国からさぞ喜んでいると思う・・・
    夕方東京へ

    (さらに…)

    2009年7月15日 (水) 8:42

田村プロフィール

■経歴 ・昭和47年
名古屋大学建築学科卒業後、恩師の平子勝設計に勤務
・昭和52年
恩師死去による勤務先閉鎖により、個人事務所として独立する。
・平成2年
法人化。バブルの崩壊をいち早く察知し試行錯誤の末、 業種をアミューズメント業界、
中でもパチンコ業に特化し、今日に至る
・平成6年
東京支所開設
・平成7年
ミラノにイタリア人3名雇い、デザインルーム開設
■趣味 出張先でおいしいものを探すこと
■好きな街 ・ミラノ
60才からはここに一年の半分は住みたい
・ニューヨーク
ここへも住みたい。元気になりそう
・名古屋
早足で歩いても人にぶつからない、ストレスの溜まらないイイ街だ
・常滑
恵まれた自然が生んだのか古くから多くの偉人が輩出している。
トヨタの大番頭の石田退三、ソニーの盛田、哲学者の谷川徹三、
東京電力の平岩外四、中野良子、ザ・ピーナツ、(タムラカズオ?)
そして 日本4大古窯の常滑焼き。
魚もおいしいイイ街です。ただ国際空港が出来るのが少し残念。
■特技 純粋に相手の立場に立てる。しかし熱すぎて少し嫌がられること多し
■苦手な事 IT、営業、カラオケ、パチンコ
■一言 すごい時代になったとつくづく思う。 自分の思い・メッセージを世界中、日本中に発信できるなんて夢のようです。 少しでも多くの方と出会い、ITの可能性を存分に試したいと思います。

設計観

建築設計の本質とは、建物と言うハードを通じて家庭の幸せや、 企業の繁栄といったソフトを創造する職業と思っている。そして一作ずつ愛情と情熱を込めて創る。 その思い入れが建物と言うハードに血を通わせることが出来ると信じている。 また日々力量を磨き、自分たちの作品が社会的価値や文化的価値へと 昇華していくことが出来たらとても幸せだと思う。

田村レポート