株式会社 田村設計

Kazの設計ざんまい

田村 和雄

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愛知県常滑市・東京都銀座在住

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  • 03/18(火)<別れは励み!> ○54-12-12

    午後、遠方より来客
    私の旧知の経営コンサルを紹介して欲しいとの依頼で、当社で初顔合わせ
    成行き上、傍で話を聞くことになった
    “鬼気迫る”2時間であった・・・
    苦境に立った経営者が、一つの望み・希望を持ってコンサルタントの門を叩き
    ・・・その心情・苦境を理解して、プロがアドバイス・ヒントを送る
    語る方の見識・熱、聞く方の真剣さ・・・双方の真剣さがヒシヒシと伝わり、お互いのやり取りの一言一言が胸を打つ・・・
    途中、コンサルの鋭い質問に、若い経営者は(自分の不甲斐なさに)涙を流す
    ・・・短い時間に涙を流すほどの的確な質問をするプロ
    ・・・人前でも涙を流す若者の素直さ
    キットこの会社は立ち直り、これを乗り越えて大きく成長して行く事を確信した!
    (欠点の指摘に反発せず)人の話に涙流して素直に聞く感性が有る限りは心配ないと
    ・・・ガンバレ若者!!
    HPのアクセス数が急激に伸びた・・・ヤハリ武沢先生のメルマガのせいだった
    お互いに“休学”を公表し合った形になった
    ・・・人生に出会いと別れは付き物だ・・・社員とも多くの別れを経験したが・・・
    別れはお互いに一つのスタートとも思う
    狭い日本・狭い業界
    お互いに生きている限りは、その後の消息・動向は直ぐ解る
    別かれる度に、何年後かの出会いに、お互いに胸を張って再会できる努力し続けなければならない新しいライバルが増えた事になる
                     <別れは励み>・・・(久しぶりの)タムラ語録

    2008年3月18日 (火) 7:30

田村プロフィール

■経歴 ・昭和47年
名古屋大学建築学科卒業後、恩師の平子勝設計に勤務
・昭和52年
恩師死去による勤務先閉鎖により、個人事務所として独立する。
・平成2年
法人化。バブルの崩壊をいち早く察知し試行錯誤の末、 業種をアミューズメント業界、
中でもパチンコ業に特化し、今日に至る
・平成6年
東京支所開設
・平成7年
ミラノにイタリア人3名雇い、デザインルーム開設
■趣味 出張先でおいしいものを探すこと
■好きな街 ・ミラノ
60才からはここに一年の半分は住みたい
・ニューヨーク
ここへも住みたい。元気になりそう
・名古屋
早足で歩いても人にぶつからない、ストレスの溜まらないイイ街だ
・常滑
恵まれた自然が生んだのか古くから多くの偉人が輩出している。
トヨタの大番頭の石田退三、ソニーの盛田、哲学者の谷川徹三、
東京電力の平岩外四、中野良子、ザ・ピーナツ、(タムラカズオ?)
そして 日本4大古窯の常滑焼き。
魚もおいしいイイ街です。ただ国際空港が出来るのが少し残念。
■特技 純粋に相手の立場に立てる。しかし熱すぎて少し嫌がられること多し
■苦手な事 IT、営業、カラオケ、パチンコ
■一言 すごい時代になったとつくづく思う。 自分の思い・メッセージを世界中、日本中に発信できるなんて夢のようです。 少しでも多くの方と出会い、ITの可能性を存分に試したいと思います。

設計観

建築設計の本質とは、建物と言うハードを通じて家庭の幸せや、 企業の繁栄といったソフトを創造する職業と思っている。そして一作ずつ愛情と情熱を込めて創る。 その思い入れが建物と言うハードに血を通わせることが出来ると信じている。 また日々力量を磨き、自分たちの作品が社会的価値や文化的価値へと 昇華していくことが出来たらとても幸せだと思う。

田村レポート