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07/23(金)直島訪問
若い頃から直島に来たかった
私が大学を卒業する頃(30年前!)
当時若手建築家の旗頭だった“石井和紘”氏は、“直島小学校・幼稚園・体育館・町役場”の一連の作品を発表し話題になった
彼は、東大・イェール大学大学院から、チャルズムーアに師事し、当時の建築界の寵児だった
イェール大学に日本から“通学”した個性ある才人だった
しかし・・・いつの間にか“直島建築”は、石井和紘から、安藤忠雄時代へ
安藤忠雄氏は、岡山に本社を持つ(通信教育で有名な)“ベネッセコーポレーション”の依頼で
・ ベネッセハウス・ミュージアム
・ 地中美術館
・ 李 ウーファン美術館
と美術館を3件設計し、
瀬戸内海のこの小さな直島は一躍有名になってしまった
直島は町興しにアートを取り込んでいる事もあり、
お陰で何も特徴のない小さな島は世界の若手芸術家と、若い建築家にとって聖地になった
建築にさほど興味が無いかも知れない友人に無理を言って
今日ヤット“直島詣で”の夢が実現
高松からフェリーの予定で、10時半着・・・しかし直島行きのフェリーは本数が少なく12時半発
待ち時間を利用して、
港近くの(ハセ君念願の)“讃岐うどん”店(上原製麺所)へ
ホテルの朝食バイキングで、
昼ご飯が入らないほど食べた筈だったが・・・別腹か?美味しさか?
・・・また食べてしまった!
麺と一緒に食べる天ぷら類は・・・さすがは本場!
・・・私は、美味さに土産まで購入(夕食用?)
穏やかな瀬戸内海を横断するフェリーは実に気分が良い
暑いが好天気に恵まれ、多くの島々を見ながらの航海は・・・ズーットこのまま1日中乗っていたい気分
約1時間で到着
直島の玄関・宮之浦港には、
SANAA(妹島和世・西沢立衛)の海の家「なおしま」・・・信じられないほどの細い柱と、薄い屋根の透明な名建築が出迎える
・・・海側には・・・赤いかぼちゃのアート!
2時到着
次の岡山行きは4時半
時間が無く焦ったが・・・
小さな島なのでベネッセは直ぐ見つかったが・・・進入路入口には、宿泊者以外は立ち入り禁止の規制が!
公道で行けると言う(直ぐ近くの)地中美術館を先行させたのが・・・運の尽き!
道を間違えたかと思うほど
すれ違いも困難な細く・曲がりくねった山道結構走り
ヤット着いたと思ったら・・・単なるチケット売り場で、2000円でチケットを買い・・・暑い中、山道を10分位歩いて・・・ヤット入口!
とても美術館の立地では無い
入口を入っても・・・更に、トンネル状の長い通路を通り・階段を上ったり・下がったり・・・中に入ったと思ったら、又外に出たり・・・これは建物では無い!
・・・私のボキャブラリー^では表現が出来ない!
地下の要塞か弾薬庫のようだ
・ モネの睡蓮が5点
・ 光の芸術家“ジェームズ・タレル”
・ “ウォルター・デ・マリオ”の意味不明の空間
のたった3名だけの美術館にしてはアプローチが長過ぎる・・・やり過ぎ!
出来栄えは別として“衣の分厚い天ぷら”みたいで・・・少々高価な入館料?
しかし
“タレル”の光の空間体験は実に面白かった
部屋に入ると・・・正面階段上部に黄色い壁があった
説明を受け皆で階段を上がると・・・何と!・・・壁と思っていた黄色部分は空間(部屋)だった!
黄色い光の充満で影が無く
・・・天国への道はこんな感じだろかと思うような不思議な体験
そして入口を振り返ると・・・そこも色付きの壁の様で・・・登って来た階段も見えず・・・そこから帰れるとは思えない空間
入った部屋が斜めで、階段が見えない所まで誘導されているせいと、壁の端部を鋭角にしているので、壁の厚みが無くなり
光の当たる明部と
光の弱い暗部が、見付けの無い鋭いエッジで切り分けられているせいだ
マリオの空間は
巾10メートル・奥行き30メートル・天井高5メートルほどの空間全体が階段状になっていて、ほぼ中央に直径2.5メートルほどの御影石の球体が置かれ
周囲の壁には、金箔が貼られた高さ2メートル・3本セットの木柱が27箇所設置されている
意味有りげな象徴的空間だが・・・感動は無い
感動をもたらさないのに・・・意味有りげを装う空間は・・・私は苦手
地中美術館でとんだ時間が掛かってしまい・・・ベネッセも李ウーファン美術館も見られず・・・
ベネッセはアプローチ用道路に検問まで設けてのチェックはやり過ぎ!
出港までに30分ほどの時間があったので
“家プロジェクト”の中、たまたま発見した安藤氏の設計で“タレル”の作品の常設会場が有ったので入館(入室)
700円!払い・・・案内人に手を引かれての入室・・・真っ暗な何も見えない恐怖の闇空間
指示に従いヒタスラ前を見続ける・・・小さな小さな薄赤色がかすかに見え出す
徐々に光を感じ出し・・・指示に従い前進!
・・・そして退室・・・それだけ!!
今に何か感動的な事が始まるに違いないと期待していたが・・・暗闇に10分くらい座って前を見ていただけだった・・・
これも芸術だそうだ
私には“視力訓練”にしか思えない・・・700円返せ!!!
“大イタチ”と宣伝して中に入ったら
“大きな板に血”が付いた看板だった江戸時代の見世物小屋と何処が違うのか??
方やアート
方や見世物
の呼称の違いだけだ・・・!!
再びフェリーの港に帰り、4時半の便で岡山へ・・・岡山駅着5時半
新幹線で名古屋へ・帰宅
こうして楽しかった2泊3日の旅は無事終わった
企画・運営・案内・ドライまでして頂いたシロー君ご夫婦にはお礼の言い様も無い・・・負担を掛け過ぎた!
これからの付き合いの中お返しをして行こう
40年前に出会った友人と夫婦で旅行が出来たなんて・・・奇跡のようだ!
感動・思い出を共有し合える友が居る人生は素晴らしい!2010年7月23日 (金) 4:49