株式会社 田村設計

Kazの設計ざんまい

田村 和雄

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愛知県常滑市・東京都銀座在住

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  • 12/24(水)広島へ(JBKオープン) 〇216-84-76

    6時起き
    7時半の新幹線で広島へ向かう・・・11時から、オープン立会い
    既存店舗の増築物件
    計画がスタートして2年ぐらいの時間が掛かったが・・・かけた時間に比例してか、極めて内容の濃い・密度の高いデザインの建物になった
    特にインテリアの高密度さは、パチンコ店を脱して、高級ブランド品店か高級レストランの域に達している
    経営者さんから良きアドバイスも有ったろうが・・・素晴らしい出来栄えの店舗だ!
    1階は禁煙
    2階が喫煙
    と、フロアで分煙している
    席に着いた老人が隣席の人に
    “ワシャー、煙草スワンケン、コーユー店ハ助カルノー”の声が印象的だった
    時代はユックリだが・・・パチンコ店も、禁煙・分煙に向かっている
    ・・・競合店が多い中、一つの有効な戦術だろう
    無事のオープンを見届け、(年末の雑用が溜まっているので)急いで帰社
    トヨタショックが続いている
    ・・・この世界的大不況は、どのあたりが底なんだろう?
    ・・・いつまで続くのだろう?
    米の消費が、世界の景気をリードして来た
    その米消費が、金融バブルで造られて来た以上、世界経済の立ち直りには相当長時間掛かる気がする
    ・・・立ち直らないかも知れない・・・?
    日本の景気も、車産業が大きく牽引して来た
    従って車産業の低迷が続く間は、不況が続くと考えねばならないだろう
    そして急激な失業者の増加は、負のスパイラルに拍車をかける
    失業者対策は、高速道路料金所の無人化等、自動化してきた多くのシステムをもう一度人力に置き換えれば相当数の人が救われる気がする

    2008年12月24日 (水) 4:41

田村プロフィール

■経歴 ・昭和47年
名古屋大学建築学科卒業後、恩師の平子勝設計に勤務
・昭和52年
恩師死去による勤務先閉鎖により、個人事務所として独立する。
・平成2年
法人化。バブルの崩壊をいち早く察知し試行錯誤の末、 業種をアミューズメント業界、
中でもパチンコ業に特化し、今日に至る
・平成6年
東京支所開設
・平成7年
ミラノにイタリア人3名雇い、デザインルーム開設
■趣味 出張先でおいしいものを探すこと
■好きな街 ・ミラノ
60才からはここに一年の半分は住みたい
・ニューヨーク
ここへも住みたい。元気になりそう
・名古屋
早足で歩いても人にぶつからない、ストレスの溜まらないイイ街だ
・常滑
恵まれた自然が生んだのか古くから多くの偉人が輩出している。
トヨタの大番頭の石田退三、ソニーの盛田、哲学者の谷川徹三、
東京電力の平岩外四、中野良子、ザ・ピーナツ、(タムラカズオ?)
そして 日本4大古窯の常滑焼き。
魚もおいしいイイ街です。ただ国際空港が出来るのが少し残念。
■特技 純粋に相手の立場に立てる。しかし熱すぎて少し嫌がられること多し
■苦手な事 IT、営業、カラオケ、パチンコ
■一言 すごい時代になったとつくづく思う。 自分の思い・メッセージを世界中、日本中に発信できるなんて夢のようです。 少しでも多くの方と出会い、ITの可能性を存分に試したいと思います。

設計観

建築設計の本質とは、建物と言うハードを通じて家庭の幸せや、 企業の繁栄といったソフトを創造する職業と思っている。そして一作ずつ愛情と情熱を込めて創る。 その思い入れが建物と言うハードに血を通わせることが出来ると信じている。 また日々力量を磨き、自分たちの作品が社会的価値や文化的価値へと 昇華していくことが出来たらとても幸せだと思う。

田村レポート