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05/19(水)武沢先生との夕食
高速道路の料金改正が先延ばしになった
私が再度知恵を授けよう!
休日1000円を止めて、首都高速・阪神高速以外の料金を毎年10%(でもいいから)段階的に下げて行けば万事解決!
民主党政権が続けば来年も下がる期待感と、輸送業界も支持するし、新しい道路を造る財源も維持されるし・・・メデタシ・めでたし!
・・・民主党さんは私をオブザーバーに雇うべきだ
東京事務所へ出勤
午前中、雑誌社来社
7月発行の“2010年ホールデザイン特集”にPR掲載をお願いしたいとの営業
当社が最大ページになると言うので・・・(断り切れず・・・)承諾
夕方“武沢先生と夕食
・・・先生と会うのは2年半ぶりくらいか?・・・懐かしさと、不成長を叱られないかと今から心配2010年5月19日 (水) 3:15
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05/18(火)グチャグチャ境界線の謎が解けた! 歩(89/400)
午前中、棚橋君と名古屋市内物件の打合せに向う
都市部は用途地域が幹線道路からの一定距離で大きく変わり、建築基準法の判断が複雑になり易い
そこに風俗営業が足し算になる
難しさが加速するのは
比較的明朗な建築基準法に
不明朗な風俗営業法が入り込むので・・・事が不安定化する
頭脳明晰な棚橋君のお陰で
連立方程式は解けたが・・・風俗営業の曖昧さが不安で解けた気がしない
協業する駐車場の認定品メーカーとのすり合わせも無事に済み
年内竣工に一直線!
多分最終便だと思う
プランも上手くバランスが取れ、一安心し、夕方東京へ向う
新幹線の中から景色を見ながら
昨日の敷地境界線のグチャグチャさがどうして出来たのだろうかを考えていた
・・・どんか事にも法則・理屈があると思うからだが・・・
ハッとした
敷地は緩やかな勾配が付いていた
・・・“コンタ”だ!
多分元は“田んぼ”だったのだろう
水を水平に張らねば田んぼにならない
勾配ある敷地に、緩やかな“棚田”が作られていたのだろう
その水平を作る“あぜ道”のコンタの曲線が、境界線になったのだろう
・・・<タムラの仮説>2010年5月18日 (火) 7:59
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05/17(月)敷地境界線は何故不整形だろう?
午前中作品集第3号打合せ
打合せの度に良くなる
デザイン会社の滝沢社長(女性)との付合いが長く・・・気が合うのだろう
しかし際限無いから・・・今月中で終りにして印刷に入りたい
お昼を挟んで
三河方面の物件の、敷地測量の打合せに向う
驚くほど不整形な境界線に驚く・・・一体どういう歴史でこのようなグチャグチャな境界線になったのだろう・・・不思議でならない
安藤さん・羽田野君・田中さんと合流し、夕方設計UP物件のクライアント側の質疑応答に向う
・・・クライアントさんが熱心な事が嬉しい!2010年5月17日 (月) 7:58
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05/16(日)定例的疲労困憊サンデー
帰省中だった息子も早朝中部空港から英に立ち
家は再び静かになった・・・
庭の芝張替えも一息つき・・・今日は作業せずユックリ休憩!
・・・と思ったのだが
建物の犬走り沿いの芝を手入れがし易いようにと、巾25センチ位カットして砂利敷きにしようと・・・少し手を入れたら
切った芝が勿体無いので
少し元気が無い斜面の芝を張り代える事になり・・・作業は本格化!
見事な出来栄えになった!
しかし
・・・またも疲労困憊サンデー・・・そして9時半就寝!2010年5月16日 (日) 7:58
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05/15(土)パワーが出ない1日
午前中、掛かりつけ医院へ定期健診と薬受取りに
体調は良いのだが・・・血圧が・・・110/75!
・・・道理で少しパワーが出ない・・・
昼前出勤
・・・やはりパワーが出ない・・・会議の資料作りにアップアップ
夕方、役員会議
上半期の数字が固まり出した・・・マアマアか??
会議が済んでもパワーが出ない・・・役員さんとの夕食会を失礼して帰宅
血圧は125位無いと
パワーが出ない事を新発見・・・低血圧の人も辛いだろうな・・・2010年5月15日 (土) 7:57
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05/14(金)48年来の友人
一昨日は実に感慨深い夜になった
・・・再会して1秒で・・・48年前に戻った!
シロー君とハセ君
高専1年生時に知り合い、仲良くなった・・・15才・・・実に48年前!
当時日本は高度成長の真っ只中
東京オリンピックの2年前だった
高専は、産業界の要請で即戦力の中堅技術者の育成目的で創られ
5年間の一貫教育の全寮制
電気・機械・建築の3学科・・・総勢120名の小さな学校のスタートだった
(土木もあった気もするが・・・?)
制度が急に決まったせいか、
校舎も寮も既存建物を改造した仮設建物で
校舎はトヨタの“上挙母”の工場敷地内、
寮は豊田市駅前の、市の公共施設の改装で、何れも古い(味わい深い)木造建物だった
この寮がスグレモノで、
畳の20畳ほどの大部屋に10名ほどの雑魚寝状態
毎日自分で布団を敷き・畳む生活
・・・床が畳みのせいか?夜は時々プロレス大会だった
お腹が空くと、門限後門を乗り越えて買ってきたコロッケは美味しかった
15才の少年達が家を離れ・・・文字通り寝食・勉強を一緒にしたのである
部屋には登山好きの須賀太郎学長さんが命名し、白馬・穂高等・・・山の名前が付けられていた
登山好きな先生が多く、先生も全員参加して“御岳”にも上った(3合目から)
・・・英語の先生が足をつって・・・皆で担いで下山した(笑)
当時私は数学に興味が湧き、
1年生の日曜日に帰省せず、終日“因数分解”にはまっていた事を思い出す
・・・ちゃぶ台のような折り畳み式の座卓が勉強机だった
寮のお風呂が故障中に
誰かが銭湯で“インキンタムシ”の病気を貰い、お陰でほとんど全員にうつり、寮の屋上に皆で布団を敷き、(パンツを脱いで)患部を日光浴(殺菌)した事も思い出深い・・・猛烈に痒かった
そんな青春ドラマのような仮設施設での共同生活の一年が終り、
春休みが済んで、鉄筋コンクリートの新校舎・新寮舎が完成し2年生を迎えたら
シロー君は居なかった
・・・高専の学校制度の将来に疑問を感じたようで、私学の進学校に編入してしまった
私には大きなショックだった
友人が去った事より・・・15~6の少年で、
将来を見据えて、人生の軌道修正をする人が居る事のショックだった
以来・・・私にも・・・悩みが芽生えた
そうしながらも・・・新校舎で後輩も出来、賑やかになり、グランド・バスケのコートも完成し
一年間出来なかったたスポーツに熱中し出した
当時走る事が好きで、グランドが寮の目の前に有ったせいもあり・・・日曜日に一人で・・・グランドを25周(1万メートル)走って事を思い出す
・・・思いっきり走っても・・・何の息切れもしなかったほどタフだった・・・結構早かった気もする・・・私の健康体はこの頃作られたと思う
当時私は、“アジアの鉄人”・十種競技の楊伝広(ヨウデンコウ)と・・・根拠も無くオリンピックに憧れていた
シロー君ショックも勉強・スポーツに夢中になった事もあって徐々に和らぎ出したが・・・
3年になったら・・・ハセ君が・・・学校休みがちになった
下宿を訪ねると・・・暗い部屋で異様な雰囲気で勉強していた
尋ねると・・・彼は・・・“オレ東大へ行く”と語った
彼も人生の軌道修正の決心をしたようだった
・・・受験勉強を経験せず、世情から取り残されたような三河の片田舎の地からの東大宣言!
ハセ君は独学の受験勉強と高専の2足のワラジを履きながら・・・
(大学受験資格が得られる)3年終了で中退し、東大を受験し・・・一浪人後・・・見事文科三類合格!
シロー君ショックにハセ君ショックが拍車を掛けた
・・・ハセ君続こう!と・・・私も3年後半から密かに参考書を購入し受験勉強の独学を始め出した・・・
建築の勉強をする内に・・・“丹下健三”氏に憧れた事も大きな動機だった
・・・香川県庁舎・代々木体育館・東京都庁・・・の美しい写真集に感動し、大学で建築を本気でやる決心をし・・・
私も卒業を待たず・・・4年生の10月中途退学し・・・受験勉強へ
こうしてシロー君と1年間、ハセ君と3年間、の高専時代は終り、
それぞれの道を歩み・・・年賀状の交換はあれ・・・45年!ほど経ってハセ君の提案で再会し・・・一昨日で3回目の出会い・・・
先日の食事中に・・・
(エリートコースを歩み続けた)ハセ君から・・・“自分の原点は高専時代だった”
と聞き、(私は東大時代と思っていたので・・・)意外だったが・・・嬉しかった!
時代・政策のボタンの掛け違いが生んだお互いの中退だったが・・・シロー君もハセ君も私も・・・高専時代を、誇りを持って思い出すのは、
時代と
青春と
先生方の“熱”だった気がする・・・
45年ぶりでも、私は彼らを“親友”と思うのは・・・
15才の少年時代に
豊田の片田舎で、
一緒に学び
寝食を共にした寮生活
そして、将来を悩み・・・中退
の原点を共有しあった仲間だったせいかも知れない
16~18才の少年の頃、自分の将来・人生悩み続け、
自分の人生を、
自分の判断・価値観での決断・行動(中退)がその後の人生を決めた気がする
彼らに会って
48年間閉じこもっていた思い出が、突然記憶の奥から流れ出してきた・・・
須賀学長の人徳のなのか・・・意気に燃えた若く・優秀な多くの先生が集まり、先生も生徒も勉学に燃えていた
(受験では無く)純粋に学問に燃えていた
難問があると競うように解き合い、勉強が面白くて仕方ない日々を過ごした
・・・皆が熱かった(時代も熱かった)
授業は1日6時間が基本で、週に2日は7時間!授業
勿論土曜日も授業と言うハードな日々だった
(ニコン出身で)著名な物理学者であった須賀太郎学長から
直々に受けた授業も感激だった・・・鏡に映る姿が何故反転しないのかを解り易く教えて頂いた
・・・優秀な先生ほど難しい事を平易に語る・・・
化学の岩田先生の授業も面白かった
興味が湧き難い化学を・・・
本当に楽しそうに教える先生の姿に引き込まれた授業だった・・・
“(分子記号の)似た物同士は溶け合う”
の言葉を今でも覚えている
物理の石岡先生は
井上靖氏の“氷壁”の主人公の実兄で、実弟の死がナイロンザイルの切断事故だった事を証明した本人だった
(後に名工大教授に転身した)数学の三浦先生も忘れ難い人だった
実に楽しそうに語る授業だった
(私の数学好きは三浦先生の影響)
教科書に無い“記号論理学”なる授業は記憶に残る・・・言葉を記号に置き換えて、数学で説こうと言う目が点の授業だった
“行列”が面白く、
先生にお願いして米の教科書を購入した事も懐かしい
当時数学の授業が多く“数学学科”と思うほどの内容・レベルだった
3年時には
微分方程式・ベクトルの微積分・フーリエ変換まで進んだ・・・入り直した大学の教養部以上のレベルだった
浪人時の模擬試験の問題を微分方程式で解いて・・・答は合っているが・・・解き方が高校で教えていない手法との見解で×だった
たしか・・・微分方程式に・・・“一般解と特殊解”の2つ存在する事が衝撃的だった・・・1つの真理を追うべく数学に答えが2つ有るとは・・・
以降私は・・・“世の中には、真理が2つ存在する”と思うようになった
国語の授業中、朗読の順番時に、
“おつうとよひょう”(鶴の恩返し)を一人芝居の如く熱読し出した演劇部のキャプテンは・・・一人で読み切ってしまった
・・・笑いをこらえていた小池先生の顔が目に浮かぶ・・・私は彼の“真迫の名演技”に逆毛が立った・・・
デトロイトの交換学生に・・・英語が通じなかった英語の先生も懐かしい(笑)
ハンドボールの名選手だった体育の寺沢先生も懐かしい
・・・2年の授業は1年間ズーッと“ラグビー”だった
(今は撤去されたが)名古屋駅前の男性裸像の銅像は寺沢先生がモデルだったそうだ
バスケの試合中に・・・“相手も苦しい!試合中に苦しい顔をするな!!”
と叱咤された言葉は今でも心に残る
寮で同室だった陸上部の“三輪野君“に頼まれて、日曜日に3校対抗戦に応援参加し、
見よう見まねで、生まれて始めて投げた“砲丸投げ”で・・・2位入賞!
続いて投げた円盤投げは指定巾に入らず・・・失格!
・・・回転して投げるのは技術が必要だった
“トヨタ”にも思い出が深い
工場もまだ上挙母しかなく、高岡工場はもっと後だったし、豊田市内はほとんどのどかな田園風景だった
当時のトヨタは“パブリカ”と言う空冷800ccの乗用車を発売し、日産のサニーとトヨタのカローラが爆発的に売れ出す直前だった
メンバーに選ばれ、トヨタの大番頭“石田退三”さんからも、直々に講演を頂き感動した記憶・・・小柄だが・肌もつやつやで・いかにも健康そうで・声の大きい・元気な人だった
トヨタの社員さんからも非常に貴重な体験をさせて貰った
・・・“ブレーンストーミング”
“ここにあるゼミクリップからどんな商品を思い付きますか?・・・5分以内に10個考えて下さい”
と言う様な身近な問題をスタートに“議論を活性化”する手法だったが、新鮮な体験に心が躍った
多分トヨタも急激に拡大する中、
プロジェクトチームを束ねる自由闊達な議論手法を勉強していたのだと思う
・・・トヨタと言う会社の奥の深さのホンノ一部を垣間見た気がした
・・・・・・・・・・
それにしても、学校で受験用授業を受けなかった私には、受験のハードルは高かった・・・1年で乗り越えられたのは・・・退路が無かったせいだと思う・・・
・・・・・・・・・・
しかし全て・・・半世紀前の出来事だ・・・
当時の先生にお会い出来るのなら・・・会って見たいが・・・当時の年齢差が20としても皆80才後半かも・・・
午前中、県内企業訪問・・・設計完了前の最終打合せ
諸問題も、社長さん自ら動いて頂いたお陰で・・・無事解決・・・さすがは社長!
プランも外観もインテリアも全て承認頂き、
6月第1週設計UPへスパート!・・・年内竣工出来るだろう!2010年5月14日 (金) 7:56
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05/13(木)藤原直哉さん講演・・・“乱世の始まり”
夕方合同青経塾で“藤原直哉”さんの講演を聞く
・・・世の中に頭の良い人が居るもんだ・・・政治・経済・歴史・国外・国内・・・あらゆる分野を熟知しており、
各分野の現状・近未来を非常に解り易く・歯切れ良く解説して頂いた
<欧米支配の終焉>
米のサブプライム処理の本番は今からで、
欧はギリシャ問題で大きなダメージを負い、
(世界経済の牽引役の)中国もバブルのコントロールが出来ず、
世界・日本は、“乱世・下克上の時代”に入る・・・特に今からの3年間が大きな山だそうだ
特に中国中央の動きは注意する必要があるようだ
“有事の円買い”
“有事のドル売り”
日本は経常黒字である事が強い要因
<乱世の始まり!>藤原語録
・ “今日は何か別な事をしなければならない”・・・と毎日考える
・ 恐竜化した大きい組織の崩壊が始まる・・・零細・中小に大きなチャンス
・ (出来ないと)割り切ったら終り・・・デジタルからアナログへ
・ 知恵と行動力の時代
・ 成功の法則は成り立たない
・ “裸一貫の生活力”
・ 過仕事が出来る人の時代・・・去の実績では無く今の実力で勝負
・ たくましく生きよう
近未来分析と鼓舞に満ちた熱い講演に・・・心が引き締った2010年5月13日 (木) 7:53
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05/12(水)パソコンとiphoneとipad
Ipodが発売された
当初は、iphoneがあればイイだろうと思っていたが・・・机上でiphoneの機能が使えたら便利だろうなと考えたら・・・欲しくなった
本も見られて5~7万円は格安だ
iphoneですら十分に使いこなせていないのに・・・
時期尚早と思っていたが、逆にiphneを早くマスターする為にも、大画面で見易いipadが必要な気がする
パソコンとiphoneとipad
どう棲み分けて行くのだろう・・・
私は
机上では、パソコン
居間では、ipad
移動中は、iphone
がそれぞれの住み家の気がする
パソコンに出来て、ipadに出来ない事より、
ipadに出来て、パソコンに出来ない事の方が多そうだ
使い勝手の良さで、徐々にパソコンは窮地に追い込まれそうな気がする
突き詰めれば・・・“マイクロソフト対アップル”・・・の戦いだろうが・・・
マイクロソフトは、より使い易い器機(ハード)の開発に手を付けなかった事が誤りだったのでは・・・
スイッチONで直ぐ立ち上がるipadはハードとしても、使い勝手の良い豊富なアプリケーションも含めてとても魅力的だ
今日は朝一番、NCHの副社長来社
CO2削減の新提案の説明を受ける・・・良い提案を頂いた
業界自体がCO2の中に巻き込まれるのは時間の問題だと思う
お昼前、都内企業を訪問・定例会議
夕方、“48年来!!”の友人と夕食2010年5月12日 (水) 10:21
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05/11(火)個人も企業も国も“無から有は生じない!”
ギリシャが破綻しそうで世界経済にまたもや暗雲!・・・リーマンショックの続編のようだ
日本へ大きな教訓を与えてくれる気がする
新聞を読む限り失政・無策がもたらした必然の破綻に見える
(必要も無いのに)人口の25%にも膨らました公務員を
法で破格の厚遇をし
国に収入が無いのに、
甘い言葉(社会福祉)を囁く政党が政権を取り、
国債(借金)で福祉を拡大・続行し続けた末の当然の破綻
当たり前の事だが・・・個人も企業も国も同じで“無から有は生じない!”
・・・借金で裕福な生活は出来ないのだ
そして、国が実質破綻し“耐乏生活”に入らねば再生は無いと解っていても・・・国民は暴動を起してでも権利(福祉の持続)を主張する
・・・自己再生能力が生まれない事が最も恐ろしい
他国の話に見えない
・・・日本も既に同じ路線を歩み出している
世界一多くの国債を発行しながらも、国民は一旦築いた福祉を手放さないだろうし、国債発行を抑える手立ても無い
そんな中でもノウノウと“詐欺まがい行為”を続行する役人達
“国債は国内での販売が中心だから心配ない”と(屁)理屈を言うが・・・郵貯の枠を2000万円に増やし、その金で更に国債を買おうが・・・一時しのぎに過ぎず、赤字国債が避けられない以上、ボーダーライン(危険区域)を超えて行くのは時間の問題だ
そして、“選挙第一主義”で、支持基盤の利権が優先され改革が後退する政治・政策の無力さ
誰がどうやって軌道修正するのか??
破綻と言う暗黒の世界への道を着実に?歩み続ける日本・・・!
個人はどうやって自己防衛したら良いのか???
ユーロは完全に失敗だったと思う
今にして思うとヨーロッパが小さな国に分かれていたのは、それなりにカントリーリスクの分散の機能があった訳だ
今更元へ戻れないし・・・まだポルトガル・スペイン・イタリアも控えているそうだ・・・
・・・・・・・・・・・
東京は朝から雨
午後、久米君・服部君も参加し、オーチスさんを中心に“キックオフ会議”
良い会議になった
良い出会いが生まれた!2010年5月11日 (火) 8:10
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05/10(月)若者よ、コンビニ弁当は止めよう! 2歩(88/400)
午前中、社で各物件打合せ
10時半より、作品集第3号打合せ
・・・固まったが、竣工写真の到着待ちが残り1物件
昼食に近くの洋食店へ・・・何と・・・閉店の張り紙!
私はこの店で食する週に一度のカツ丼が、人生の大きな楽しみの一つだっただけに残念無念・・・日本一美味しく、カロリーを気にしなければ毎日でも食べたいほど好物だったのに・・・
ご夫婦だけで経営している下町の名店だったのに・・・
この10年ほどで、町内の飲食店が5軒も閉店した
残るはラーメン店一軒だけになってしまった
・・・私の推測は・・・経営者の老齢化もあろうが・・・町内にできた“コンビニ”が拍車をかけたと思う
経費削減もあろうが・・・若い人が昼食に飲食店へ行かなくなった
うちの社員さんも大半は“コンビニ弁当”のようだ
界隈に個人経営の飲食店が有る事が、町の食文化を育み、町に風情・情緒が生まれる
小さい頃、それぞれの店舗で職人さんが作る美味しい料理を食する事は、人格形成上でも大事な事だと思う
“若者よ!コンビニ弁当は止めよう!!”
“食を安易に済ますな!”
午後東京へ移動
夕食後、銀座界隈を散歩・・・2時間!2010年5月10日 (月) 11:51