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 No.134       名古屋万博とトンネル窯      2005.9.26

名古屋万博が、昨日終わりました
会期中、名古屋は何処も大混雑で、名古屋に住んでいる人にとっては、本心はヤ
レヤレの思いでしょう

私も、閉会間直の先々週、重い腰を上げヤット行ってきました
しかし、すごい人出に圧倒されて、何処のパビリオンも見ずに(見られず)帰ってき
ました

“空席ありますヨー”なんて呼び声につられ、4000円払って入ったら立見席も満席
で、映画を1本も見られずに出てきたシネコンみたいで・・・
“ドロボー!金返セー!”と言いたい気分ですが、これも“自己責任”でしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・
急に話しが変わりますが、私が住んでいる常滑市は、古くからの焼き物の町(日
本4古窯の1つ)で、小さい頃から焼き物には縁の深い生活でした
中学の頃、“窯屋さん”にアルバイトに行きました

粘土で作った製品を焼く前・焼いてから、1回1回出し入れするのです
“窯だし”は最悪で、人間がこんな高温に耐えられるのかの信じられない位の高
温(汗も出ないほどの高温!・・・窯の中にはまだオレンジの光が残っていました)
・・・窯屋さんは、家族総動員で、日本の古き良き家内工業時代です

焼き物の製造方法は 古くは“登り窯”・・・製品の出し入れ口は、山の斜面の途中
に幾つも作り、全体を斜面に添って煙突状にし、下から焚いた“まき”の燃焼効率
を上げる古来の方法です
常滑市には、鎌倉時代の遺跡も多く発見されています

そして、私がバイトに行っていた“単窯”・・・石炭時代の生産方式です
常滑市の町が黒いのは、石炭の黒いススの後遺症です
最盛期には、300本余りの赤レンガの煙突が立ち並び、一斉に黒い煙を吐く姿
は勇ましく圧巻でした
・・・煙はなんともいえない“甘酸っぱい臭い”で私の“好物?”でした

そして時代が変わり熱源は“重油”に代わり、“トンネル窯”と言う画期的な生産
方式が生まれました・・・高度成長にのった大量生産・大量販売時代の到来です

材料を“トロッコ”に積み、高温の長―いトンネル内を移動させながら、生産ラ
インで“焼き続ける方式”です
全体が“機械”ですから、温度差による焼きムラの“自然の味わい”は無くなり、
焼き物は表情の無い工業製品化し、焼き物業は家内工業から“企業・産業”に
生まれ変わりました

長々と、焼き物の生産方式を説明してきましたが・・・・・・

肝心の、万博!
毎日20万人も入れて、何をさせよう・見させよう・体験させようとしたのでし
ょうか?
・・・最初から20万人の人出は予想出来たのにその“無策”はどうしてでしょう?
私は大阪万博も行きましたが・・・システムは何も変ってません

本質は“場内に入れるが商売”の、お役所仕事だと思います!
・・・どうさばくかの管理的発想が先にアリキで、満足感を売る“客商売”では有り
ません

足の不自由な方・老人が疲れる体に鞭打って、一生懸命見に来ている姿を見て
いるうち、“トンネル窯”を、思い出したのです

私の構想は、人が歩く速度以下で、大きな動く歩道(もしくは乗車口を歩道面と
高さを合わせたオープン電車)を作り、パビリオンを“回遊”させるのです(・・・
イス席もつくり、勿論、老人・子供・身障者優先)

何処で降りようと・何処で乗ろうと自由にして、勿論安全には十分な配慮をしな
がら、1周2−3時間の“さわり”コースを作るのです
・・・イイ案と思いますが・・・
これなら、一日に20万人は楽にこなせるのになーと、思いながらの万博体験で
した
・・・・・・・・・・・・・・・スイマセン、話しに何の“オチ”も無く・・・



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